幸せとは

人にとって幸せを感じるときはどんな時でしょうか。

欲しいものが手に入ったとき、おいしいものを食べた時、何かを成し遂げたときなどに感じると思います。

しかしその感情はあくまでも一時的です。

本当に深いところで気持ちが安心し、嬉しいと感じられるのは人と人との思いが通じた時なのだと思います。

性的な良い関係も快感により肉体から精神は解放され、神の領域に達することもありますがほんの一瞬にすぎません。

イエスがお伝えになられた神の国は人と人との本当に信頼された心の間に存在します。

そこは次元や空間や時間をもこえたエネルギーと繋がる領域が存在するのです。

その絶対的なエネルギーはすべてのマイナスをプラスのエネルギーに昇華いたします。

そこは神の領域に至る“楽園”なのです。

そして私達ひとりひとりは“祈り”によってその高次元の絶対的なプラスエネルギーとつながることも出来るのです。

まさしく神は近くに存在しています。

ただ真理を知ろうともせず欲に従えば自らが神のもとから離れてしまいます。

自分で自分のこころの動きがわからないと自ら作り上げられた感情に支配され行動し“苦”から逃れることが出来なくなります。

私達は自分の意識がどう働き、どう思い、どう行動するのか理解していません。

結果的に相手も自分もマイナス的な状態に至っていきます。

イエスはそのような人を“わからないひと”といい、ブッタは“無知(無智)なひと”といっています。

そこで大切なのはそのことに気付き、反省し、真理を学ぶことです。

人生にはそのための時間が与えられています。

しかしそのことに気付かなければやがて大切な事を学ばずに老いて死んでいきます。

生きているということはそのチャンスが今、現在も与えられているのです。

人は自ら考え自分を変えていくことが出来る存在なのです。

いわばこの世界において進化の“進んだ存在”であり、そしてさらに“進化すべき存在”なのです。

そして多くの知りえた方が云うように私達のこころの奥には神性や仏性が存在しているのです。

エネルギーの法則

身体と心は気のエネルギーによって関与しています。

身体は“気”によって統制され“気”は意識によって変化します。

ご自身の思いが“気”を通じて身体に変化を与えます。

マイナスの思いは気の流れと止め、エネルギーを弱めていきます。

プラスの思いは逆に気の流れを良くして、エネルギーを高めていきます。

気は基本的にエントロピーの法則と同様、自由と解放にエネルギーが向かいエネルギーは力を増していきます。

逆に統制、管理、抑圧されるとエネルギーは止まってしまい弱くなります。

これは万物の法則なのです。

いかなる事もこの法則が働きます。

もちろん身体にもその法則に従っています。

病気は気の病と書きます。

病は“疾しい(やましい)”の語にあたります。

別の語だと“疚しい”と書きます。

広く解釈をすると“こころがスッキリしない”状態なのです。

強いストレスや心配事や自己嫌悪があれば身体の“気”は流れにくくなりエネルギーも弱まってしまいます。

病気はマイナスのエネルギーから生じます。

いろいろな問題もマイナスのエネルギーが作用しあって生じます。

その最大なるエネルギーは私達のこころに存在する“不安”からなのです。

人は“不安”からのがれようとお互い支配しようとします。

支配、管理してもお互いが信用できなければ、さらに“不安”は強くなります。

こころが根本的に不安によって支配されることで、あるものは怒り、戦い、あるものは自信を失いあきらめ無気力になります。

社会的にも個人的にも良い状態を創ろうとするならこのエネルギーの法則を知らなければ成就しません。

何か大切なことを成し遂げなければならないとき、ある程度までは管理した状態が優位に働きますがそこから超える場合にはプラスのエネルギーが必要となります。

何か大きな行いをするには大いなる喜びや感動を持たずして事は成し遂げることが難しいこともあるでしょう。