私達の思考パターン

私達は幼少のころから周囲によってさまざまな思考パターンを植え付けられます。

土地柄や習慣、宗教などにより周囲の大人たちから“こうあるべき”という考え方を強要されます。

逆らうことは罪や罰として認識を与えていきます。

「あなたがこうだから悪いの」

他人と違う考えをもつことは理由もなく“否定”されることがあります。

“否定”は生きることに対し非常に恐怖感を植え付けてしまいます。

マイナスのエネルギーは必ず“力”の弱い方に向かいます。

最終的に周囲で一番、力が弱く優しい人が犠牲になります。

実は“言う側”の方もどこかで“言われる側”になっています。

“マイナス”に偏った心は常に安心することが出来ません。

感情もひとつのエネルギーで一定の法則が働きます。

プラスの作用はまた別のプラスの作用に働きます。

マイナスの作用はまた別のマイナスの作用に働きます。

私達は知らず知らずのうちに自分を“自分の価値観”で評価せず“他人の価値観”で評価してしまう思考パターンを持ってしまいます。

仕事や勉強に対し懸命に行い、他人から“評価”を受けることで一時的に安心します。

実質的な目的よりも他人からの評価を気にするような思考になっていることが多いのです。

そしてお互い“評価”し合い、競争を強いられるのです。

しかもこのゲームには生きている限り終わりがありません。

被害者は加害者になり、加害者も被害者になりえるのです。

その結果が社会の歪をつくります。

“うつ”や依存症、虐待、自傷、自殺、犯罪など必ずこの作用が働いています。

そのことを理解しない限りこのマイナスの思考ループから抜け出すことは出来ません。

受け入れることの難しさ

この世は全てエネルギーの法則に従って動いています。

日本ではこのエネルギーを“気”と呼んでいます。

身体においても“気”が順調に流れれば健康でいられると東洋医学では伝えてます。

肉体は“気”によってコントロールされます。

それでは“気”は何でコントロールされるか?

様々な要因がありますが、大きい要因は“環境”と“気持ち”です。

“環境”は物理的要因で変化させることは可能です。

“気持ち”も表層と深層があり、変化させるには安易な場合と難しい場合があります。

“気”はエネルギー体で量(力)と質(情報)を持っています。

人は意識を集中することで“気”を感覚的に認識することが出来るようになります。

特に身体は“気”が全身に通えば良くなり、滞れば悪くなります。

人と人が合う時にお互い無意識下で“気”のやりとりを行います。

その時にエネルギーがプラスに働ければお互いの“気”は通じ合います。

逆にマイナスに働ければお互いの“気”は通いません。

プラスのエネルギーを言葉で表すと

受容、調和、平和、安定、安心、自由、解放、慈しみ、信頼、信用、許し、正直など

マイナスのエネルギーを言葉で表すと

拒否、拒絶、支配、管理、抑圧、抑制、断絶、絶交、不安、心配、不要、不認、偽りなど

身近に人に対してご自身がどのように思うかで“気”の流れが変わります。

相手の方に対し“自分の思い”がプラスに傾くか、マイナスに傾くかで“自分”や“相手”の気の流れに影響します。

エネルギー(気)が通れば自ずと良く方向に事は進んで行きます。

エネルギー(気)が通らず、滞り逆流すれば事は良い方向には向かいません。

“ひと”はさまざまに“もの”や“こと”に対し“受け入れる”ことが大切なのです。

特に人と人の間、動物や植物など生きている“もの”に対して“気”は敏感にそして瞬時に反応します。

実はこの“受け入れる”が非常に簡単なようで難しいのです。

そしてこのことを説明し、伝えることは非常に難しくもあります。

“気”は“意識”でとらえるより“身体の感覚”の方が分かるかと思います。

具体的には相手に対して思った時に“ホッ”と安心した気持ちになれるかです。

相手の事を思い嬉しい気持ちや楽になる感覚であれば“気”が通っています。

逆に相手に対し心配や不安、時には不審、怒り、憎しみ、悲しみ、苦しいなど感じるようであれば“気”は流れずマイナスの作用をしてしまいます。

さまざまな問題や病気の原因はここから始まります。

高次元について

私達の世界は3次元の世界です。

さらに4次元は空間(場所)を越えた世界です。

5次元ではさらに時間を越えていきます。

次元が高くなることを高次元と呼びます。

人にはアストラル体(幽体-精神体と捉えています)が肉体のまわりに在ります。

肉体は3次元の存在ですがアストラル体は霊的存在で4次元的5次元的な働きもします。

生きている人間でも意識が強くなれば“念”というエネルギーとなり現象として善悪問わず何か作用が起きることもあります。

実際、遠隔治療は空間を越えてエネルギー(気)は働きます。

祈りも空間、時には時間を越えて働きます。

よく超常的な力を“神憑り”とか“神通力”といいます。

神ということは私たちのさらに超越した次元から私たちが見えているのかもしれません。

その世界(次元)では見えていても私たちには分からず混乱している状態かもしれません。

私達でも何か修行したりエクスタシーを感じたりトランス状態になったりしたとき次元の狭間を覗くことがあります。

それは陰と陽、覚醒時と睡眠時の間(脳波ではスローα波からθ波)で生じるようです。

昼と夜の狭間、夕方や明け方が神秘的な感じを受けるのも世界が変わる瞬間に世界が移行していく何かを感じ取っているからかもしれません。

次元的な干渉により物事に変化が生じた場合、結果を観察することは出来ても3次元的に証明することは難しいと思います。

但し、証明は難しくても“実在”することは“気”によって感じとれます。

私達は肉体的には3次元にありますがさらに高次元に繋がる能力は備えています。

精神が神的領域に近づくことでさらに上の次元と関わる可能性を秘めています。

それは私達が本来、霊的存在であり生きながら次元上昇(アセンション、密教だと即身成仏)出来る可能性があると宗教では伝えています。

ことばとしてイエスは“神の国(楽園)”、ブッタは彼岸(悟りの境地、浄土)という世界があることを伝えています。

生きることは“苦”であるとブッタは説いています。

苦から解放されるには“八正道=正しく生きる”と説きます。

“正しい”とは真理を知り、真理に則した生活を行うことと思います。

イエスは私達の近くに神は在り、神の国も在ると説いています。

そして人が神から遠ざかってしまうことも喩えで伝えています。

私たちには無明ゆえ見えない、分からないことも次元が高い領域ではお分かりになるのだと思います。

次元と意識

人は物事を考えるとき、まずは対象となるものを視ることからはじめます。

物の見方は人によってさまざまです。

私たちの存在している空間は3次元です。そのため私達は物を見た時に立体物として認識することが出来ます。

もし私たちが1次元や2次元として物をみるとどうなるかというと1次元では物体を線としか捉えることしか出来ません。

どの方向からみても線に長さは変化しますがたとえ立体物であっても1次元では線なのです。

2次元においては平面の世界です。

たとえば“さかな”を2次元的にみると見る方向によってその形は異なります。

正面、左右側面、後ろ、上、下というように“ひとつのもの”でもみる方向によって同じものとして認識することは出来ないのです。

もし2次元の世界では“ひとつのもの”でも他人によって見る方向が違えば全く異なるものとして認識されます。

“さかな”を例に考えてみます。(さかなを知らないと仮定します)
・正面から見た人は楕円形で細長く身体全体が顔で手足はなく身体の左右にヒレがある。
・側面から見た人は横になっていて平たくて大きな身体で目は一つで頭の上に口があり手足はヒレとなっている。
・うしろから見た人、真上から見た人、真下から見た人はなんだかわからないものとして認識します。

もし個別にそれぞれの情報が拡散されてしまうと本来のものから“かけ離れた”ものとして情報が伝わっていきます。

本来の形を認識するには3次元的な立体物として“さかな”の情報が必要なのです。

また“螺旋状に動くもの”は真上から見ると円が動いているのみにみえますが、そのエネルギーは上に向かって働くので物体を横から見ていると下から上に“ゲジゲジ”が移動しているように見えるでしょう。

現実の世界でも何か事件がありその情報が一部しかなければ事実を把握することは出来ません。

もし情報が写真一枚であれば推測は出来ますが実証することは不可能です。

もし一部の情報だけで物事を判断すれば実際の事柄や真実から“かけ離れた”情報が伝わり事態に混乱を招く事は現在の情報過多の時代でも十分にあります。

さらに人々が感情で事を受け止めてしまうとさらに大きな力が働き、時に事態を収束することが大変になります。

時に在らぬ方向に事態が向かうことも現実には多く存在しています。

大切なのは

・3次元的に物事を観察すること。

・現状を知る(受け入れる)こと。

・どうすれば良い結果に至ることを考えること。

と思います。