六道輪廻

仏教思想の中に六道輪廻という教えがあります。

現世でどんな生き方をしたかにより天界、人間界、修羅界、餓鬼界、畜生界、地獄界の各層に来世、魂が行くか決められるのです。

真理を学び覚ることが出来なければ、自ら苦しみの世界から逃れられず、なんどもなんども生まれ変わり六道から永劫に果てることも出来ず輪廻を繰り返すという思想です。

私は六道というものはあの世の世界というよりも現在の私たちのこころに存在していると思っています。

人は自身の欲求のまま赴き、欲が満たされることで有頂天になります。

他人に対して自分の欲求が通らないと自らを正義と主張して犠牲があろうとも力をもって勝つまで戦います。

是が非でもあるものが欲しいという強い欲求にかられれば我を失い、自分本位で自分勝手に行動をとることもります。

あたかも動物が本能に赴くままのように自分の欲求を満たそうともします。

そして最後に自分のこころは自分も他人も信用出来ず、自分がなんであるかもわからず苦しみつづけなければならなくなってしまいます。

仏教ではこの六道から逃れるには悟りを得て彼岸にいたるしかないと説きます。

そのためには自分のこころを知る事が大切と説きます。

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四苦八苦

仏教では苦は欲が満たされないものとして捉えています。

簡単に解説しますと四苦は生存そのものに対する欲求から生じます。

生まれる、老いる、病気、死ぬといったことで全ての人に共通した苦しみです。

いかなる人でも人として存在している以上、四苦から逃れることはできません。

八苦ですが生老病死以外の四つの苦しみがあると説いています。

愛別離苦;愛する人ともいつかは離別しなければならない
怨憎会苦;イヤな奴や嫌いな人でも会わなくてはならない
求不得苦;欲しいものが得られない
五蘊盛苦;色(肉体)・受(感受)・想(観念)・行(こころの働き)・識(認識)を五蘊といい自分の心身(感覚と気持ち)が思い通りにならない

(図解ブッタの教え・西東社より一部引用)

自分の気持ち

静かなところで暫し目を閉じて気持ちを鎮めていきますと頭の中に沢山の考えが出て来ます。

日常の諸々な事、心配事、家族の事、仕事の事、周りの人の事、自分の気持ち、人から言われた事、様々な思いが次々と浮かび、頭の中を止めどもなく湧き上がってきます。

さらに現在の事柄から過去の記憶や思い、そして感情も湧き上がってきます。

多くの出来事、思い、感情がこころの中で交差し気持ちも安定しません。

普段、自分ではあまり意識していないことでも多量な情報と思いが自身の中に存在しているのです。

日常、考えている事、思っている事は意識の極一部です。

自分の志向“好きか嫌いか”は脳に蓄えられた沢山の情報の中から選択された記憶の中の感情が働き、はじめて自己意識として認識されます。

時には自分でも理由が解らず感情が働いてしまうことも多々あります。

強い感情は時として自分でも思わぬ行動を示してしまうことさえあります。

感情に支配されてしまうこころ

日常、何か事があると意識の中ではまっさきに感情が働きます。

ほとんどの場合、私達の意識は自分でも気が付かない状態で感情に支配され易く、色々な思いを持ちます。

ほとんど問題の起因はここから生じます。

私達は今までの経験で自分という意識を創っています。

経験のなかには必ずその時の感情が含まれ“思い”として記憶されます。

こころはその集合体のようなものです。

ほとんどの場合その“思い”が自分のものと勘違いして悩み苦しむことが多く、そしてその気持ちに従うような行動をとってしまいます。

よく他人が行うことは変に思えても自分の行動は“思い”によって自身でもたとえ変った行動に至っても自分では気が付かないのです。

表在意識と潜在意識

自身の心も身体も表在的に自分で認識出来ていることはほんの一部だけです。

人は自分を中心として多くの人と様々な関係をもっています。

当初は両親、兄弟、祖父母などの家族間ですが年齢とともに次第に社会的な人間関係を築いていきます。

普通に生きていくには他人との共存が欠かせないこととなっていきます。

ひとりの人物でも相手に対し様々な自分が存在しています。

相手に対し別々の顔があり、意識も相手に対応し付き合っています。

年齢や状況に応じて自分の役割を感じて、意識的に自分を創り上げていきます。

子供の時、学生の時、社会に出た時、恋愛した時、結婚した時、子供が出来て親となった時、社会的な責任がある立場についた時、様々な状況下で同時にいくつかの自分が存在し、そして役割を行っています。

そしてその中で自分という存在を認識していくのです。

生きていく状況で多くの事柄を経験していきますが、そこに自身の感情が伴い記憶されていきます。

その情報は次々と蓄えられ常に新たな記憶が重ね書きされていきます。

あまり使われなくなった情報記憶は意識のフォルダにしまわれるように記憶領域に保存され自分でも気づかない領域で意識のプログラムの一部となっていきます。

普段、ひとは頻繁に使う事柄に対応すべく表在的な意識で物事に対処していますがその深層には膨大な量の情報が存在しています。

記憶は感情と結びつき現在の事柄に深層からの感情が湧き上がります。

そして本人には自覚することが出来ないところで感情を発し行動し、また記憶として重ね書きしていきます。

ストレスと欲求

ストレスは本来、自分が心身とも楽な状態では存在しません。

人はある意味“楽”を求めるために生活を行っていたのに“苦”を招いている状態に至ります。

そこには周りの人間関係や社会的環境と自分の意識が関与しています。

社会生活のなかで知らず知らずにこころが傷められていくことも多くあります。

気付くとストレスでこころも身体も苦しくなっているかもしれません。

ストレスと自己攻撃型疾患

長期的な緊張状態は多くの病気の症状を示します。

その範囲は広く、痛み、こり、冷え、発汗異常などの自律神経症状や精神不安、強迫神経症、パニック障害などの精神的な障害や免疫力の働きが弱くなり感染症に罹って治りにくい状態になったりします。

ストレスが起因して、身体が正常に機能しなくなって自分自身を攻撃してしまう疾患が多くあります。

アレルギーとは本来、免疫に関わる用語で特定の物質(抗原)に対し身体が過剰反応してしまい、その物質に対し排除するため炎症や浮腫をはじめ身体に不調を起こし、時には呼吸障害や臓器機能不全、血圧の低下など生命の維持に関わるような症状も起こします。

自己免疫疾患は自己の免疫システムが異常を生じ内臓や軟部組織や関節に炎症を起こします。

癌、悪性腫瘍は本来、正常な細胞が突然変異を生じ増殖し多臓器に転移し本来の細胞の働きを阻害して多くの障害を身体に与えます。
この疾患も自ら自分を攻撃していく病の一つではないかと思います。

またストレスでは生活習慣に影響を与え、動脈硬化から脳、心臓、血管に至る病気や糖尿病や肝臓、胆のう、腎臓などに影響をあたえる病気の起因となります。

精神的な障害にはアルコールや薬物をはじめとする依存症、リストカットや拒食症や摂食障害、うつ病や自殺願望など、自らが自分を苦しみに至らせる症状です。

普通の生活

私たちは既存の作られた社会のシステムの上で暮らしています。子供の時から義務教育を受け、ほとんどの方は高校まで進みます。

多くの資格取得には高校卒業という条件が必要とされているからです。

学生時代から何がしたいのか判る方は少ないと思います。

それは学校以外で社会と接し、経験を積むことが少ない故当然です。

多く方が学校を卒業したのち自分を受け入れてくれる働き先を探します。

周りの大人達も限られた状況の中で人生を選択してきていますのでそのことは当たり前のように捉えられます。

故にあまり疑問もなく社会に対しては受動的思考になっていきます。

人生には時折、何か大事な選択をしなければならないときに自分の生き方について考えることがあります。

多くの場合、現在の生活の安定を第一に考えます。

組織に所属することはある意味、生活が保障されます。

そのため、私たちは生活を守るため勤勉でなければならないのです。

また結婚し家庭を築いていくことは責任を伴います。

社会でも要職につけば責任は増えていきます。

普通に生活してくことは本当に大変な努力が必要なのです。

“普通の生活”を維持するうちに私達は絶えずストレスと知らぬうちに接しています。

身体は脳の影響を受けています。ストレスは自覚している以上に存在しています。脳は普段、一定の処理能力で働いているので必要以上なストレスは自覚していませんが身体は多くの影響を受け、緊張状態に至っています。

病気と痛みについて

組織の炎症には、強力な感染菌やウイルスの羅患による場合は別として、肉体的、精神的ストレスによって、免疫系統にトラブルを生じ、免疫力の弱体化やアレルギーなど、自己の組織を攻撃してしまうことが多く見受けられます。

また難治性の痛みにおいても何らかの非化膿性の感染症が関係していることもあります。

関節を中心とした“ズキン”と芯にくるような痛みの多くは感染症によるものと考えられます。

キネシオロジーテストでの反応をみると、早期的に治癒する場合は肺炎球菌による反応が多いのですが、長期化する場合は結核菌やヘルペスなどが反応します。
(但し結核菌が関節で反応していても、呼吸器では殆ど感染している反応はありませんので直接的には肺結核にはならないようです。肺結核の場合は咳や発熱症状が発生しますので症状からも鑑別することが出来ます)

また子宮頸癌や肝臓癌など一部の癌にもウイルスなどの感染から組織の変性が生じることもあります。

悪性腫瘍など、病気自体や抗癌剤の副作用により体力が低下して免疫力が落ちてしまうと常在的な菌やウイルスに羅患しやすく重症化してしまうこともあります。
多くの癌の患者さんからキネシオロジーテストでカンジタ菌の反応がでます。
(諸説においてはカンジタ菌が癌の原因菌であるといわれていますが、正直なところ、判断することは出来ません。ただ身体が癌に至る場合は、当初から免疫力自体も低下していることは確かと思います)

リウマチや膠原病、多くのアレルギーは自己の免疫が過剰に反応し、自身の身体を攻撃してしまいます。

理論的にいえば多くの組織の炎症や変性を起因とする病気の場合、自己免疫力を正常に回復すれば、おのずと病気は良くなると考えられます。

また糖尿病のようにある特定の臓器が機能低下を生じて、全身的な症状を生じてしまうことがあります。

さらに炎症を抑えるためのステロイドや抗生物質などの治療薬も長期服用によって副作用で二次的な症状を起こしてしまうこともあります。

動脈硬化などの場合もストレスと食や睡眠など日常生活に関わっています。

一度、脳や心臓の血管で梗塞を生ずれば回復に至るまでが大変となります。

出来れば、病気は未病のうちに“予防”を行うことが望まれます。

精神的不調和について

身体においても本来、正常に“気”が巡れば元気になります。

治療はまずは肉体的に“気”を流すように行ないます。

症状が環境などの負荷で一時的に肉体の状態が悪化している場合は、順調に良い経過を辿っていきます。

しかし、治療してもなかなか効果が見られないことがあります。

多くの場合、精神的ストレスが関与しています。

この状態は心も体も“嫌”と言っている状態です。

身体を見ると、まさに力を入れて“嫌”と訴えている感じがします。

普通の生活をしている中で自分では気がつかないうちにストレスに至っている状態が多くあります。

肩こりや腰痛などは典型的症状です。

これは無意識に自分で力をずっといれてしまい筋疲労を起こした状態です。

寝ていても顎に力が入り、歯をくいしばっていることもあります。

ただし自覚がないため、身体が辛いとしか感じません。

先に書きましたようにこの状態は自律神経に関与し各諸の痛みをはじめ多くの身体の不調を引き起こします。

そこには私たちの意識の内で自分でもわからない状態で、精神が不調和を感じているのです。

“こころ”や“からだ”の病気をはじめ、家族間や社会などの多くの不調和は、各個人の意識の中の不調和に起因を発しています。

辞典で“病”という語を調べますと、元々は“疾しい(疚しい)”という語の形容詞なのです。

“やましい”はこころがすっきりしないことです。

つまり“気”がきちんと流れていない状態を現しています。

この状態を変えていかないと病気は快方に向かわないのです。

物事に問題が生じている場合、本来、向かうべきところに力が働いてないことが多いのです。