本来の魂は純粋なものです。
そして自由な存在です。
個人の名前もありません。
宇宙という大海の一滴が私達それぞれの魂でありひとつの肉体に宿っています。
宇宙の法則においては全てが同じであり平等です。
自己の垣根がなくなればその境界は無くなり全てのもの(宇宙)と繋がります。
自らの欲を超越した純粋なる祈りは“大いなる力”と繋がり、全てのマイナスエネルギーをプラスに変換する方向に至ります。
自分の価値観を持つ。
自分の価値観に従って生きる。
そのためには自分の価値観を構築しなければなりません。
いわば本来の“学び”はそこにあります。
自分の魂が何を感じているのか、感じとるのです。
他人の云うことはあくまでも参考です。
自分に対して”正直に良いと感じること”を信じることです。
自分は“自分のため”に生きる。
“自分の力”で生きていく。
そこには“喜び”と“充足感”そして“力強さ”があります。
それが“自信”の源となるのです。
本来は自分と他人と比較するものでもありません。
自分を否定することでもありません。
誤った意識は“気”の流れと止め病気を引き起こして行きます。
自分が自分をきちんと認められたときにようやく他人との繋がりが分かるようになります。
もし”自分が人のために尽くす”と決めたのであればそこには自分の意識が存在しています。
行動は”人のため”でも意識は自分のために行うことなのです。
その場合は見返りがないのです。
他人に助けてもらうことは悪いことではありません。
それは“お互いさま”です。
しかし長く他人に依存したり従属したりすることは良いことではありません。
自らが“生きる力”を失っていきます。
しだいに気持ちも身体も委縮してしまいます。
自分を肯定することは同時に相手も肯定することです。
相手に対して自分自身と同様に思うことです。
最低限、自分が“嫌”と思う行動や発言しないことです。
それは自分の発言や行動に責任をもつことです。
たとえ他人に従わなければならない時でも自身の行動であることを認識しなくてはなりません。
そのためには思慮深くなければなりません。
個として生きることは孤独であり不安です。
そして全ての人の最期には“死”があります。
自我意識が強く自分や自分の家族さえ良ければと思えば余計にその“不安”は強くなります。
人は身体と心、どちらが大切でしょうか?
私は心と思います。
もちもん健康を維持することは大切です。
本来、人のコア(中核)は魂です。
肉体はいわばツール(道具)です。
しかも保証期間がない期限付きのレンタル品です。
心が安定すれば身体も従います。
欲から発せられるものは心の満足はえられません。
お金や物では真の安らぎは得られません。
相手の幸せを本当に願う事が唯一、貴方のこころに平安をもたらしてくれる事です。
幸せとは人として“生きていて良かった、嬉しい”と本心から思えることと思います。
それは人と人の心がお互い受け入れ合い、信頼できるところに“安心”が生まれます。
大切なことは自らの心の深いところから”反省”と”感謝”と”受け入れる”ことです。
他人から強要されて行うのではありません。
自らがその“思い”で行わなければ何の意味もありません。
過去、多くの聖人の方々が弟子や大切な人の死に対して悲しみ、そして嘆いていられます。
悟りを開いても、なお人は魂の奥底に深く人に対しての情を持っているのです。
どう生きるか、それは個人への問いかけなのですが、人はやはり人と人との繋がりの上に喜びや幸せを感じるものなのだと思います。
他者との関係の中で自分がどのように生きるか、それが“生きる”ことの最大の学びであり目的であり、所以かもしれません。
肉体が死を迎える時に私の“魂”と最期に向き合い満足できているか?
そこに私の人生の本来の“価値”があると思います。
東京都杉並区荻窪にて開院しております
緑治療室-鍼灸マッサージ- 院長・富樫 昭夫のブログです。
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